今週水曜日に、何とかLLM論文のためのプレゼンテーションを終えました。概略は以下の通り。
最初に日本の土地利用の現状として、鳥居の側面に面するマンション、通勤ラッシュの映像を紹介し、国立訴訟と、現在私が住んでいるレイクオスウェゴ市でのケアハウジング建築プランの不成就を対比して、オレゴン州土地利用法が定める19のゴールが日本の問題の解決のヒントになるのではと提案しました。
次に日本の都市計画法が国家主導で緩和されていくことや、複雑で住民参加を阻むものとなっている点を指摘し、他方、オレゴン州法が徹底した住民参加を取り入れている点や成長コントロールが厳しく行われている点等を対比しました。
そして、このようなオレゴン州法が生まれた背景として、60年代から70年代にかけての環境運動、環境立法、土地が売買対象だけでなく資源でもあるという概念の変化、そして知事のリーダーシップがあったことを確認しました。
これに対し、日本では、高度成長期の重化学工業拠点開発の後、深刻な公害問題が生じ、米国と時を同じくして環境(公害)立法がなされていったこと、しかしながら、田中首相による列島改造論に代表される開発主導の政策が採られていき、大平首相の時期に一呼吸置くも、中曽根首相によるアーバンルネッサンスの名の下での土地規制の緩和、バブル経済時の乱開発が生じ、自治体の要綱によるコミュニティ、環境確保の努力も、通達や裁判敗訴により押しとどめられていくという対照的な時代経過があったことを指摘しました。
最後に、オレゴン州も90年代初期に出た市の土地規制を違憲とする連邦最高裁判決、昨年秋に住民投票により成立した州の土地補償法といった揺れ戻しの動きがあること、TODが進んでいるポートランド市域でも世界水準からするとCO2の問題に対し不十分であるという問題点を指摘しました。日本では小泉首相による都市再生で規制緩和がさらに続けられていること、地方分権が進められているが財源問題等十分でないこと、そういった中で、自治体の努力が続けられていること(1000人ワークショップを例としてちょっと紹介)を指摘しました。そして、結論として、日本の土地利用政策について、主導している国の指向を経済政策からスマートグロースに転換すべきであること、地方分権、市民参加、TODへの回帰の4点を改善すべきとしました。これらは1973年に成立したオレゴン州の19のゴールとして既に目指されているのです。オレゴンの面積は日本全体の2/3もありますが、人口は1/40で、人口密度は北海道の1/5しかありません。これを比較するのはナンセンスなようですが、オレゴンの理念は十分日本の参考になります。
さて、こう書くと簡単ですが、英語にするには、まず上記を中学生程度の日本語にして、英語に変換するという脳内プロセスを経ます。苦労が理解していただけるでしょう。最初のレイクオスウェゴ市のケースは、前セメスターの土地利用法ゼミで関わった案件で、市条例自体が、建設予定地が含まれる商業地ゾーンについて、「周囲との調和」(compatibility)を条件としてケアハウジング建設を認めるという柔軟な規定となっていました。そして、公式な住民告知等を経た委員会において、申請者のプレゼンテーションに対し、住民団体の反対意見のプレゼンテーションがなされ、その結果、委員会は条件を満たさないと結論づけました。市のプランナーは、条例の条件を全て満たしているとの意見書を委員会に付していますが、委員会では、住民の意見が通りました。この委員会の結論に対しては、州の土地利用紛争処理機関への控訴もできますが、この件では、市が建設予定地を買い取り和解解決しました。硬直で国家主導の都市計画法、建築基準法の結果生じた国立マンション紛争と対照的な事例だと思います。
また、オレゴン19のゴールの策定自体の手続きも、驚くほどの住民意見の集約手続きがなされていることも驚きでした。市は州の目標の適合するマスタープランの策定義務があり、各条例もオレゴン州法の強い住民参加指向を受けて、このレイクオスウェゴ市条例のような規定となっているのです。
教授陣、他のLLMからは、まず、議会や選挙はどうなっているのかという質問がありました。環境政策を重視するという候補者はいないのかともありました。また、米国と同時期に環境立法がなされているのに違いがどうして生じたかという質問がありました。前者については、うまく答えられませんでした。「候補者は、今は全員環境重視と言ってます。」との答えに、韓国人裁判官が妙に納得してニヤニヤしていました。また、中国人LLMは、日本も民主主義じゃないんだよといわんばかりにニコニコしていましたが、私は、国民自体が自民党による経済開発主導を望んできたと思います。後者の質問にも関連しますが、米国と日本で確かに時期は同じであっても、環境立法のきっかけが違うことが重要です。
米国では、レイチェルカーソンの「沈黙の春」出版が大きな起点で、力をつけていく環境保護団体も、動物の絶滅、くじら・いるか問題、手つかずの自然の国立公園化などが中心でした。世界の環境法をリードしている環境アセスメント法、種の保存法もこうした背景から生まれているのです。当然米国にも工場汚染はあり、大気や水の汚染を防止する立法が同時期になされています。もっとも、国民は、西部開拓や、動物の乱獲の結果、取り返しのつかないことをしてきたという危機感を共有していったことがより大きな背景となっています。
日本では、局地的で深刻な公害被害に対し、被害者救済が急務となり、国民の関心もそこに集中したのだと考えます。そして、国と企業の技術革新を伴う共同努力により、汚染と省エネの相当部分を解決したという認識が国民の間で共有されているといえます。CO2の問題は、この図式の延長として日本は受け入れやすくなっていますが、米国では個々の消費生活と環境の結びつきは理解しにくいわけです。日本の国民は、大筋こうした自民党及び官庁の経済政策と環境政策の調和を指示してきたのであって、選挙での大敗は、汚職スキャンダルを原因としてきたと考えます。しかし、個々の生活やコミュニティに目を向けると、やはり政策に問題があったことが見えてきて、解決手段として地方分権や市民参加が位置づけられるのではないでしょうか。
この背景の違いを見るために留学しているので、現時点で一応の目標は達成できたかなと思います。5月までにこれを論文の形に整え、同月の期末試験を終えると、1ヶ月半の休みがあります。アメリカ自然保護の原動力となっている国立公園を調査確認(?)することが課題です。
では。