1998年7月札幌
実務修習のため、東京から札幌に転居しました。
たまたま市電沿いに住んで、市電で裁判所や弁護士事務所に通いました。
何かしら、環境に関わる活動をやりたいと思い、新聞を切り抜いたり、地元のシンポジウム、集会に参加するなどしていました。
中央区と市電の会主催の、市電についての集会に参加したとき、ヨーロッパのLRT(新型路面電車)の映像を見せてもらいました。
何か、将来を期待させる何かを感じました。
1998年LRTさっぽろ赤本
北海道新聞に、LRTさっぽろという市民団体の報告書について、小さな記事が載っていました。
記事に興味を持って、報告書を注文しました。
札幌の街をどのように経営していけば、衰退を防ぎ、より魅力的な街となるか、LRTをキーとして、説得的に、かつ夢を持って書いてありました。
これはすごい!早速話しを聞かせてくれ、と連絡すると、会議を傍聴させてもらうことができました。
広くメンバー募集をする団体ではないのですが、いつの間にかメンバーとなっていました。
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1999年市環境アセス条例公聴会
札幌市環境アセス条例に対する意見公募に意見を出したところ、公聴会で意見発表する事となりました。
ざっと調べた複数の法律論文をもとに、意見を述べたのですが、同じく市民として意見を述べられた、市民活動をされている女性の意見発表に比べ、いかに自分の発表が、浅いものか、身にしみました。
公の場へのほろにがデビューではありましたが、外部者でもすぐにそういった立場になりうる札幌の懐の深さ、可能性を感じました。
2000年5月フライブルク、ストラスブール
弁護士登録し、札幌弁護士会公害対策環境保全委員会に配属されました。
修習中から、同委員会に出入りしていたので、ゴールデンウィークを利用したドイツ環境政策視察ツアーに参加することができました。
今泉みね子さんの「環境首都フライブルク」という本を元に、主として、ゴミ問題、交通問題について見てきました。
本体ツアーに先立ち、少し早く現地入りし、LRTさっぽろ代表吉岡のガイドにより、フライブルク、ストラスブール、カールスルーエのLRTを乗りまわってきました。
ストラスブールのトラムが音も無く通りを曲がって姿を現したときの感動は今でも覚えています。
フライブルクは、駅の屋根に空き缶等のゴミがたまっていたりして、本のイメージよりも、清廉潔白というわけでなく、「ドイツ人といえども、所詮人だな。」と、身近な印象を受けました。
車の無い中心部では、鳥のさえずりが大げさなほど、よく聞こえました。
この視察旅行は、本当にその後の活動に影響がありました。
フライブルク郊外のコテージで遭遇した議論好きのドイツ人も、この人のおかげで英語を勉強する気になり、留学につながったといえます。