謹賀新年

1/1/2005 菅澤紀生
オレゴン州ポートランドより

あけましておめでとうございます。新年のご挨拶に代え近況報告をさせていただきます。

生活面

言葉の不自由は依然として大きなハードルですが、何とか家族一同楽しく暮らしております。スピード違反による裁判所の呼び出し状を受け取った時はびっくりしました。本来事前の罰金納付により出頭は免除されるのですが、私の場合、転居先に通知が転送されず、期日に出頭しなかったため、その分の加算分も加え$**払えという通知を突然受領したのです。裁判所に行き、書記官に事情を話すと、法廷で裁判官に話せとのことで、初めて証言台に立ちました。通訳を頼むと別の日になるというので、何とかかんとか述べて、罰金を基本額まで減額してもらいました。

大統領選

昨年秋には、大統領選挙が行われました。事前の予想では、フロリダとオハイオが勝負の分かれ目と言われていたところ、その両方を取ったブッシュが勝ちました。得票状況の分布図を見ると、綺麗にその特色が塗り分けられています。通常、日本人が「ここがアメリカだ」と思う場所、ニューヨーク、ワシントンDC、マサチューセッツ(ボストン)、イリノイ(シカゴ)、カリフォルニア、ワシントン(シアトル)、オレゴン、こうしたところは全てケリーが勝ち、これらの北東部、西海岸を除いた全ての場所でブッシュが勝ちました。面積で見ると、圧倒的にブッシュ色です。私たちからよく見えない農業国アメリカがあるのだろうと思います(オレゴンでは未だにケリー・エドワードというステッカーを貼った車がたくさん走っています)。

土地利用計画法

同日には、大統領戦だけでなく、いろいろな投票も同時に行われました。オレゴンの土地利用に関して極めて重要な法案「M37」の住民投票が行われ、60パーセントの得票で同州法が成立しました。この法律は、各種土地利用規制により生じる地価の減少を政府が補填するというものです。住民による発案がなされ、住民投票により成立しました。そこで、日本でも複数の図書で取り上げられているオレゴン州の土地利用規制を紹介します。

オレゴン州では、1973年、土地利用法が成立し、同法に基づき、都市部をむやみに広げないための「都市成長限界線」を定めてきました。「サスティナブル・シティ」(学芸出版)の著者、川村健一氏の第143回都市経営フォーラム講演録(日建設計HPより)によれば、最寄りの都市シアトルでは、38%の人口が増えるときに、87%も市街地を開発して広くなったのに対し、ポートランドでは、77%の人口がふえて、外に向かって増えた市街地はわずか6%であるとのことです(70年代から90年代にかけての数値だと思われますが、同講演録からは不明です。)。
たしかにポートランド市域では、私の住んでいる所もそうですが、2階建て程度の集合住宅群が各地にあります。これは、政策により導かれています。オレゴン州が、市民参加、土地利用計画、農地、森林保全、各種環境保全、経済発展、住宅、交通、都市開発等19の政策目標を掲げ、各自治体がそれぞれ自分の地域に該当する目標を取り上げ、マスタープランに盛り込みます。各自治体は詳細なゾーニングを定めます。私の住むレイクオスウェゴ市(人口およそ35,000人、面積27k㎡)を例にとると、住居地域11種、商業地域8種、工業地域2種、行政地域1種と、多様なゾーニングがなされています。連邦法により、全ての自治体が、手頃な値段、家賃の住宅を用意するよう要請されているところ、ポートランド市域では成長管理政策もあいまって、熱心に集合住宅を作っています。ただしほとんどが低層です。ポートランド都心部には、日本のマンションのような高層の住宅も多少あります。交通の便が極めて良いので、人気があり、家賃が高く保たれています。市役所も都心居住を推進しています。
都市成長管理線の中か外かで地価に大きな影響がありますので、郊外に土地を所有している人々にとっては、深刻な事情です。成長管理政策に加え、湿地の保護、さらには野生生物の保護等の環境規制により、建物が建てられなくなったりします。こうした政策による地価下落の損失を補填しようというのが、先のM37です。この問題は「テイキング」といわれ、古くから議論の対象となっています。
行政目的のために、土地を収用するのが本来の「テイキング」であり、この場合には、当然行政が地価を支払います。アメリカだけでなく日本の憲法でもこのことが保障されています。行政がその土地を使用する場合でなく、土地利用を規制された場合にも補償が必要かどうかというのが問題です。レンガ工場を営んでいた業者が、周りに住宅地が広がり、行政によりその場所での工場の操業を禁止されたため、その規制の無効を争った裁判で、1915年、連邦最高裁は規制を有効としました。他の場所でも工場を営むことはできることが理由の一つとして示されています。他方、石炭会社が、地盤沈下を理由に採掘を禁止されたことを争った裁判で、1922年、連邦最高裁は規制を無効としました。これにより、土地の本来の目的の経済価値を全て奪うことになる場合は、補償なしでは規制できない、逆に言えば全ての価値を奪うことにならなければ補償は不要という判例法が確立されました。商工業地域であれば儲かっていたのに、住居地域とされて損失を被った補償がない限り無効だ、としてゾーニング規制を争った裁判で、1924年、連邦最高裁は、ゾーニング規制を有効としました。この判例により、現在のゾーニング規制が成り立っています。
長らく自治体の土地利用規制を裁判所が無効とすることはなかったのですが、レーガン、ブッシュ(父)の共和党政権時代に任命された裁判官が多数を占めるようになると、事情が変わってきます。行政が、海岸の眺望確保のための規制に基づき、人々が海岸に出るための通行を認めることを条件に建物の改築を許可した事案では、連邦最高裁は、規制目的と関係がないからテイキングにあたり補償が必要としました。また、水域保護のために大型商業施設の土地の一部の利用を制限したオレゴン州タイガード市の事案では、制限部分が大きすぎるということで、テイキングにあたり補償が必要としました。こうした流れで、連邦法で、土地利用規制により生じる損失を行政に補償を義務づけるテイキング法案も提出されましたが、クリントンが拒否権を行使して廃案となりました。
そして、この度、オレゴン州では、住民がこのテイキング法を住民発案の手続きにより提案し、このたび住民投票の結果、州法として可決されました。素朴に考えると、行政目的による規制により、個人が損失を被るのだから行政が補償しようというのは理解しやすいです。しかし、こうした土地利用規制がなければ日本のように、隣に突然とんでもないものが建ったりすることが生じ、アメリカの事情を考えると地価が下落することがあるという規制による市民の恩恵が見落とされがちだったのではと思います。また、土地利用規制の緩和により、巨額の利益が生じることは、日本の近郊農地を見れば明らかですが、こうした利益は、高率の税等により行政に還元されるのかというとそうではなく、バランスを失しているように見えます。この法律も、今後裁判でその有効性が争われていくことになるでしょう。

こうした土地利用の日本の事例で思い当たるのが国立マンション訴訟です。2004年10月末、国立市の大学通りの景観を根拠にマンション建設についての損害賠償、20メートル(並木の高さ)を超える部分の撤去を求める裁判について、1審判決破棄の控訴審判決が出ました。1審の東京地裁八王子支部判決は、既に建っている建物の撤去を、しかも景観の利益に基づき認めたことで大変注目されました。しかし、今回の東京高裁判決は、景観に基づく請求自体を否定しました。景観は行政により守るべきものであって、個人が個人の利益として損害賠償等の根拠とすることができるものではない、というのが主たる理由です。たしかにそうです。自分の土地から見えていた美しい景観を遮られたという場合は、眺望が害されたとして不法行為の対象となることは判例でも確立されています。しかし、景観の良い通りを保つという価値は、自分の土地から見て楽しむというのではなく、歩いて、ただずんで楽しむものなので、眺望と同様に不法行為として扱うのは理論的に極めて難しいといえます。日本の現状では、景観を阻害する建築物の建設で直ちに不動産価値の下落に至るわけではないでしょうから、この点でも権利侵害の主張が困難です。地裁判決は、従前から住民が自らの経済的犠牲を払って景観を守ってきた経緯を損害の根拠としています。すなわち、一定範囲の区域の住民らが、高い建物を建てて高収益をあげられるにも関わらず、景観を守るために、あえてダウンゾーニング(都市計画法に基づく用途地域の変更)を働きかけたり、条例化するなどして自主的に高さを守ってきたということを認定しています。
既に述べたレイクオスウェゴ市のように、場違いな建物が突然近隣に建つことがないように規制する手段が市町村に整っていれば、そもそもこうした問題は起きません。同市では、詳細なゾーニングに加え、一定の条件下で建築を認める用途の場合に、近隣住民への告知、公聴会、委員会での審査など厳格な手続きを設けています。また、富士山のように美しいフッド山が見える眺望を遮ってはいけないという規定もあります。景観規制自体を不服として争うことは十分予想できますし、規制が不十分だったとして、行政を訴えることも考えられます。景観利益に基づく不動産所有権規制の可否については、歴史的にいくつかの段階を踏んだ上、現在ではポリスパワーの正当な行使として認められています。しかし、個人として不法行為(ニューサンス)に基づく損害賠償請求を求めることは、これを否定する判例もあり、アメリカでも困難でしょう。
もっとも、日本の都市計画法、建築基準法は、景観の保全までは全く配慮していません。つまりポリスパワーによる保護はなされていないことになります。現在策定中の景観法成立前で、行政による保全手段が不十分な状況の下、住民が景観保全のために自主的に高さを揃えてきたという歴史をどう評価するのか、まちづくりに興味を持つ者として大変興味のある事案です。

土地利用法ゼミ
ロースクールの秋学期には、土地利用計画法のほか、土地利用法ゼミを受講しました。前者は、主に連邦レベルの一般的なケースの解説であるのに対し、後者は、オレゴン州法を勉強しました。教官は、実務家であり、週一回だけその科目を長年担当している非常勤教官です。受講生は、教官が実際に扱った複数のケースを修正した事案につき模擬裁判(正確には委員会)を行いました。私は、住宅地に大規模老人ホームを建設する案に反対する住民団体代理人の役割で、答弁書の作成、委員会でのプレゼンテーションを行いました。言葉のハンデを乗り越えるため、理論をシンプルにして、実際の街を歩いて写真をいっぱい撮り、都心部から当該場所に歩いていくような形で並べ、いかにこの場所に不釣り合いかを強調する作戦をとりました。その結果、5対6で勝ちました。立場を入れ替え建設側代理人の役割となった控訴審では、欲が出たのか、法律論で勝負しようとしてしまい、時間不足もあって、十分に当該規制が差別的であることの立証ができませんでした。結果は、6対5で控訴棄却、破れました。

なお、ルイス&クラーク・ロースクールは、環境法の分野で全米トップの評価を受けているだけあり、とても2年間では履修できないほどの種類の環境法科目があります。そのため、こうした特化した科目があるわけです。所詮学校で授業を受けるだけですので、科目を履修しただけで専門的知識が身に付くわけではありませんが、貴重な機会ですので、残された期間、最大限吸収していきたいと思います。

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