西村氏は、日本の都市計画、景観問題の第一人者であるだけでなく、積極的に各地の市民によるまちなみ保存、まちづくり活動に足を運ばれ、助力されている。また、その研究成果を、学術論文だけでなく、一般書籍において発表され、広く都市問題の解説や、政策提言をされている。講演は、さすがの内容であった。

 講演で示された最初の映像は、中国のポスターであった。それには、現在の古い居住環境を早く壊し、近代的な高層の街に変えていこうというメッセージが強く表れている。一見滑稽に見えるが、日本も最近まで同じように進んできた。現状は間違いであり、改善する必要がある、その結果都市の価値が高まり、生活の質も向上するという考えで、急速な近代化、都市化が進められてきた。アジアは、ヨーロッパに比べ、人口密度が遥かに高いということもあり、現在日本が抱えている都市問題は、戦後から今までの事情を考えると、やむを得ない側面もあると、西村氏は、現状の都市を留保付ながら肯定する。

 続いて、忍池周辺の写真で、ちぐはぐな都市景観を示しながら、このやむを得なかった現状を、さらに理論的に分析する。都市生活者は、2つの矛盾した両側面を持っている。居住者の論理としては、静かで落ち着いた公園の近くの環境を楽しみたいと考える。他方で、土地所有者としての側面から、土地を利用して収入をあげたい、ビジネスをしたいと考える。両面を充足するためには、ゆるい規制の方が選択可能性を与えることになるので望ましいとされてきたが、現実には、住環境を楽しもうとする人が損をしているということになり、開発圧力が生じる。これは、居住の原理が経済原理に飲み込まれる現象である。

 すなわち、都市空間には、①居住原理、②経済原理、③統治原理の3つの原理があり、それぞれの相克により、現在の日本の都市の現状が生じてきた。①都市は生活の場であり、ここでは、共感・連帯・協働システムという言葉が当てはまる。②都市は商業・交易の場であり、ここでは、交換・競争・取引という言葉が当てはまる。③都市は相互の利益を調整し、規制する場であり、ここでは、強制・制裁・支配システムという言葉が当てはまる。日本の都市は、居住原理からもう一度考え、見直す必要があると西村氏は提言する。

 過去100年間、日本は驚くべきスピードで人口増加を経験してきたため、急増する人口をいかに受け止めていくかという課題に直面し、さらに農村から都市への人口の移動の事情が加わったため、都市問題は大変困難な問題であった。これだけのスピードでおしよせてくる人口いかに住まわすかが問題であったため、上下水道の整備、大気汚染の対策等で手一杯で、都市の環境の総合的政策を考えたり、住民参加を取り入れるなどの余裕が無かった。都市計画は、こうした問題を対処するために行われてきたのであり、経済原理と統治原理が優先してきたことも、合理性があった。

しかし、2004年に人口のピークを迎え、これからの人口急減、高齢化の局面に対してどう答えていくか、今後は、都市を安定的に縮小させていくプログラムが必要であり、人口急増に対処するための都市計画のシステムでは対応が難しい。そこで、これからは、トップダウンの都市計画ではなく、ボトムアップのまちづくりの仕組みを作っていく必要がある。居住原理からその場所がいかに使われてきたか、大切にされてきたかを再度確認し、その状態に戻すことが真の都市再生である。

その一つの現れが、景観問題である。景観とは、主観的にめでるものではなく、住環境として好ましいという住環境の指針となるものである。バブル崩壊後、全国で景観条例が策定され、世論調査でも、志向の変化が如実に表れている。京都の厳しい都市景観条例や、大阪の法善寺横町の工夫、川越の路地の改善、足立区本木1丁目の密集した市街地のちょっとした改善など、ボトムアップのまちづくりの取り組みが各地で見られる。

西村氏は、最後に、こうした新しい仕組みづくりについての本シンポジウムの議論は、都市計画の枠組みを越えるかもしれないが、避けて通れない問題であり、中国、韓国、台湾の抱えた共通の問題でもあるので、世界に情報発信をしていく必要があると、シンポジウムの意義を明確に位置付けて、講演を終えられた。

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