前回報告しました数々のトラブルは、収束方向にあり、天気もすっかり良くなり桜が満開といったこともあり、気分はかなり前向きです。前向きといっても、数々の国立公園をいかに回るかを考えることが、頭のかなりの部分を占めています。
先のメールでも書きましたが、現在論文準備中で、宿題に追われる毎日とは少し異なり、日本語での思考を楽しんでいます。環境問題や都市問題等の社会問題を考えていると、国政について考えることは避けて通れません。そこで、今回は政治の話しです。

オレゴン州やポートランド市での都市政策、連邦レベルでの自然保護政策は、現在日本が抱えている問題の解決のために参考となるものだと評価できますが、これらの政策はほとんど1960年代末期から70年代初頭の立法を基礎としています。そして、これらの立法は60年代の公民権運動、環境保護運動、反戦運動の延長にあります。連邦レベルでは、ケネディ、ジョンソン、クリントン(なぜかカーターは影が薄い)らの民主党大統領時代に、自治、市民社会、環境保護といった政策が進んでいます。州、市レベルでは、知事、市長の所属政党が、大統領と一致していないので、時期等はずれますが、連邦からの補助金等の違いもあり、連動しているといえます。共和党ニクソン、レーガン、ブッシュ1、ブッシュ2と並べてみても、その傾向は明らかです。チェイニー、ラムズフェルドらは、ニクソン政権の主要スタッフで、ブッシュ1、2で閣僚を務めています。加えて、アメリカの最高裁は、法律の合憲性判断を積極的に行いますので、政治色が極めて強いです。現在の構成は、ニクソン、レーガン時代に任命された裁判官が多数を占めていますので、いくつかの環境保護法及びその派生理論、都市政策法が違憲と判断されています。オレゴン州タイガード市が、水道器器具チェーン店の建て直しの許可について、湿地保護政策の関連で、舗装面の制限と自転車道のための土地提供を条件付けしたことにつき、連邦最高裁は、無償でそうした制限をすることは行き過ぎで違憲無効としました。

これに日本の首相を合わせてみると、ケネディ、ジョンソン(民)の60年代が池田、佐藤の時代にあたり、ニクソン、フォード(共)の70年代が田中、三木、福田、カーター(民)が大平、言わずとしれたロンヤス関係のレーガン(共)が中曽根、ブッシュ1(共)が海部、クリントン(民)が混乱の末橋本、ブッシュ2(共)が小泉となります。70年代生まれの私には、60年代、70年代の日本の政治の実感はありませんが、低成長のカーター・大平、小さな政府のレーガン・中曽根、極右のブッシュ2・小泉といった実感はたしかにあり、主に共和党政権と日本の政策は連動が見られるのではないでしょうか。

なお、私は、その混乱期に選挙権を得ました。当時、日本新党には、何か期待できる雰囲気がありました。思えば、自民分裂、連立細川政権、社会党さきがけ連立離脱、自社さ村山政権、自自公連立、政治無関心を生み出すこの一連の混乱は、全て小沢一郎氏の動きによるものですね。現在の日本は憲法改正に向けてまっしぐらでしょうか。野党が小沢一郎党ではしかたがないでしょう。

さて、最近、中国人女性と中国、日本の話しをすることがよくあります。彼女は中国共産党の批判もおおっぴらにするラディカルな人ですが、民主主義は東アジアには存在しないと言い切ります。政治の善し悪しは、リーダーが良いか悪いかで決まると言い、授業での「民主的なシンガポールでも・・」などのテキストのくだりには、「No way!」とくってかかります。シンガポールがうまく発展したのは、リー・クアンユーという良いリーダーに恵まれたからだとします。私もあながちこれを否定できません。日本の民主主義は・・アメリカみたいではないけれど、中国よりは自由じゃないかと・・。日本人が自民党政権にそれほど強い不満や圧力を感じないように、中国人もそれほど共産党に文句はないようです。李登輝やマハティールが持ち上げる日本型民主主義ということなのでしょうか。

「子曰く」とあるように、聖人君主に恵まれれば、民主主義なんか必要ありません。民衆が議論して決めるより、聖人君主の判断の方が優れているからです。しかし、残念ながら聖人君主なんて人材は中国4000年の歴史には沢山登場するのでしょうけれど、常に人材に恵まれているわけではありません。かえって民衆の生活には弊害が大きかったことから、世界で市民革命は起こったわけです。しかし、一挙に現在のアメリカのような民主主義が生じたわけではなく、貴族が半分の議会に、民衆の代表を選挙で半分送り込んだ程度のものが長く続いていたのです。そう考えると、選挙での政策論争で地方政府の長が決まる、政策はなんでも情報公開して、市民議論をして決める、といった絵に描いたような民主主義は、その歴史は極めて浅く、地域的にも限られているともいえます。

?とはいえ、世界を眺めれば、自民党と一緒に石橋を叩いて渡っている日本を尻目に、こうした民主化はじわじわと広がっているといえるでしょう。民衆が決めることですから最善ということではありません。揺れ戻しながらちょっとずつ進んでいるという印象です。アメリカの現在の都市政策は、70年代からの「静かな革命」によって生じてきたことは、大野輝之氏の著作で紹介されています。ドイツを見ても、酸性雨、原発事故といった事象を背景に、市民運動や緑の党が力をつけ、その結果、環境政策が進められてきました。日本でも同様に70年代初頭に環境立法がなされていますが、その後の違いはどこにあるのでしょうか。都市政策について見ると、日本でも、国レベルでの経済政策としての土地利用制限の緩和に対し、自治体が要綱でもって小さな反乱を企てました。しかし、通達による鎮圧、武蔵野市の水道法裁判での断罪により、革命は失敗しました。どうしてでしょうか。
民主主義の成熟度の違いというのが一般的な見解でしょう。たしかにその違いが一番大きいのですが、もっと深く考えなければ解決の糸口は見つけられません。そもそも日本に環境保護運動などの市民運動はあったのでしょうか。

公害対策基本法の成立が1967年、いわゆる公害国会にて大気汚染防止法等一連の立法がなされたのが70年。環境庁が発足したのが71年。背景としては、67年新潟水俣訴訟提起、四日市ぜんそく訴訟提起、68年イタイイタイ病訴訟提起、69年水俣病訴訟提起、大阪空港騒音訴訟提起があります。50年代から水俣病の症状は確認されていたにも関わらず、差別等により放置されていたものが、訴訟提起、勝訴まで至っているのは、大きな運動があったからでしょう。しかし、その後、日本は、政府、企業、そしてその従業員としての市民も一体となって、立法、行政基準定律、技術革新等の努力でなんとなく省エネ対策とともに公害問題を克服してしまいました。ここで日本の環境問題は一旦終わってしまったわけです。80年代中盤から森林問題、酸性雨、オゾン層破壊、地球温暖化といった地球環境問題が出てきて、バブル経済の反省とともに92年地球サミット等で盛り上がりを見せます。そして温暖化についての97年京都会議でそのピークに達した感があります。自動車会社までもCMで毎日環境を訴えるようになりました。そこには、市民運動というよりも、政府・企業とともに、持続的な社会を目指そうという他人本位な雰囲気がただよっていました。

アメリカでは、60年代70年代の運動を経て、NGOが強力になり、自然保護の分野では、政策のトップランナーを走っています。ドイツ南西部を視察に行った際、彼らが地球サミット後、アジェンダ21を立て、厳密に遂行していこうとしていることに驚きました。ドイツは、言わずとしれた環境政策の世界の手本です。過去の運動が、政権交代によって政治に反映されてきた結果といえるでしょう。ちなみに、環境に関心のあるアメリカ人は、日本を、捕鯨を続ける反環境的な国だと思っています。ドイツ人は、日本を経済優先大量消費の反環境的な国だと思っているようです。他方、中国の環境関連の法を研究している教授達は、無駄な対立なく良い環境を達成している日本をモデルにしようとしていると友人の中国人女性が言っていました。

数ある環境問題の相当部分において、政府と企業がタッグを組んで進む日本型モデルは有効だと思います。市民運動で燃費の悪い車や、有害物質を排出する企業の製品の不買運動をしたところで、技術革新のインセンティブにならないと思われるからです。ですが、都市のアメニティと山林の自然保護については、このモデルは機能してこなかったことは、現在の日本の状況を見れば明らかです。地域のコミュニティの問題も然りです。これらは、地方自治、市民自治により、補完していく必要があります。未だ住民運動に対しては、共産党だ、同和だ、と白眼視する社会も存在します。しかし、幸い北海道には、少なくとも札幌には、市民自治を実現する風通しの良さが感じられます。LRTさっぽろ、さっぽろ都心フォーラムは、トップランナーとして、党派に関係なく市民社会の実現に向かう意義を持っていると思います。

話しが大げさになってしまいましたが、最後に上記の疑問の一つの答えとして、興味深いコラムの引用をします。日独裁判官物語を監修した木佐教授の見解を本田勝一氏がコラムで紹介しているものです(同氏の文章は、何でも体制のせいにする傾向があり、好きではありませんが)。東大安田講堂占拠が69年。我が中央大学は、あまりの学生運動の激しさに、八王子に移転し、運動がしにくいキャンパスを作ったと言われています。それが功を奏してすっかり骨抜きになってしまったとか。

「スライドとともに紹介されるドイツの司法界の、日本とのあまりの違いに驚かされたものの、それ以上にほとんど呆然とさせられたのは、木佐氏のいう「ガラパゴス現象」あるいは「シーラカンス現象」である。乱暴に要約すれば、それは次のような現象だ。

司法に限らず、行政であれジャーナリズムであれ教育であれ、西欧など「先進」諸国にくらべて日本のそれらが全く「後進」的であることは、よく指摘されてきた。ところが今では、西欧どころかアジアの中でさえ日本がとりのこされているというのだ。たとえば韓国や台湾の方が日本よりもすでにはっきりと民主的な司法制度に変っているという。つまり日本が世界の中でも孤立的に「おくれた司法界」としてとり残されている。すなわちガラパゴス諸島の生物であり、生ける化石としてのシーラカンスということになる。(略)

ガラパゴス現象の背景として木佐氏が挙げたひとつに、60年安保世代あるいは大学闘争世代の違いがある。ドイツとか台湾などでは、反体制の闘士として当時活躍した学生らが、その思想のままで現在の主流あるいは体制側にはいっているというのだ。そうなれば体制も変らざるをえないではないか。

ところがわが国の場合、転向なり裏切りなりした者は体制側の主流に少なくないものの、その思想のままでは必ずはずされてゆき、体制側に残れない。これでは革命でも起こさなければ変るはずもないが、日本は民衆が国家権力を倒した歴史を持たぬ珍しい国だ。」(http://homepage3.nifty.com/tabushi/「現在の研究活動」)

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