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なぜ留学しようと思ったか

なぜ留学して環境法LLMを取得しようと思ったか

これは細かい事情が積み重なって、留学に至りましたので、これだから、と単純に説明できません。自分の頭を整理するために、以下長々と考えてみます。

少年時のあこがれ

まず、学生時代から漠然とした留学へのあこがれがありました。学者であった祖父が、戦前にイギリスに留学したことがあると、子供の頃から聞いていたので、何となく海外で勉強してみたいという意識はあったと思います。また、中学生の頃から英米のハード・ロックに浸っていたので、単純に行ってみたいという気持ちもあったと思います。ですが、大学入学後、司法試験に取り組んだので、留学や海外旅行という機会はありませんでした。
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野茂、シアトル

 司法試験に合格した1997年、その夏の論文試験の後、5回目の挑戦で、今年は受かったなという感触があったので、レストランでアルバイトをして、アメリカ西海岸に初めて海外旅行に出ました。ロサンジェルスで、野茂投手の先発の試合を含む2試合のドジャース戦を見て、シアトルでマリナーズ戦を1試合見ました。LAメタル全盛期を体感してあこがれのあったロサンジェルスには、がっかりすることが多かったです。他方で、シアトルは、緑の木々と海に囲まれた町で、適度な湿気を感じ、日本人の肌に合うと感じました。シアトルの印象の良さは、その後の留学先選択に大きなポイントとなりました。

環境問題への興味

 司法試験が終了し、さて、世の中は何が問題になっているのかな、と回りを眺めると、京都議定書が最も大きなニュースとして、連日、新聞紙面を賑わせていました。次年度の司法試験準備をしなくてよくなったので、手当たり次第、環境関係の本を読みあさりました。米本昌平(著)「地球環境問題とは何か」と、諏訪雄二(著)「アメリカは環境に優しいのか-環境意志決定とアメリカ型民主主義の功罪」の2冊は、非常にインパクトがありました。

1998年3月、今度は、司法試験予備校の伊藤真塾がマネージメントをしたツアーで、他の司法試験合格者とともに、ボストン、ニューヨーク、ワシントンDCを回り、ロースクール、裁判所、大規模弁護士事務所を訪問しました。このツアーに先立ち、参加者は、小グループに分かれて、訪問先へのインタビュー事項などの事前準備をしました。その際、先の本の著者、米本昌平氏を訪れ、話しを直接伺うことができました。振り返ると、当時は、自分たちの力で、世の中を変えられるのではないか、という気分に満ちていましたね。

さて、そのツアーで、ハーバード大学、コロンビア大学、ニューヨーク大学を訪れ、授業を見学し、学生と交流する機会をもてました。また、大規模事務所の環境法担当弁護士の話を聞くことができました。そのときの印象は、アメリカでは、社会と法とが密接で、法が扱う範囲、あるいはロイヤーが扱う範囲が、日本に比べて非常に広いという印象が強く残りました。でも、その時は、あまりこれらの大学に来たい、留学したいという気分はわきませんでした。何となく、スノッブでかつ競争的な雰囲気で、自分はお呼びじゃないなという印象がありました。

札幌での修習、出会い

2年間の修習の間に、弁護士希望の修習生は、就職活動を行うのですが、札幌で実務修習を行っていた私は、弁護士を東京でするか、札幌でするか、長く悩んでいました。東京での生活しか知らなかった私は、札幌の環境をすっかり気に入ってしまっていたからです。北大の公開講座や、札幌市の生涯学習講座等で、環境関連の講座に参加したり、各種集会に参加するなどして、ローカルな活動に触れることもできました。札幌市のアセスメント条例策定にあたっての公聴会では、意見投稿したところ、意見陳述する機会にまでめぐまれました。

そういった各種の活動の中で、札幌市中央区の主催する路面電車の集まりに参加したところ、札幌LRTの会の吉見教授が、スライドで海外のLRTを紹介されました。これはすごいと感じ、情報を集め始めました。当時、環境やまちづくり関連の新聞記事の切り抜きをしていたのですが、LRTさっぽろというグループが、冊子を発表したとの小さな記事を見つけました。早速申し込んで、取り寄せてみると、その内容は、それまで参加したどの札幌の市民活動を凌駕するものであり、知的好奇心を強く刺激しました。連絡をとって、話しを聞きに行きました。当時の私のテーマは、弁護士として、環境やまちづくに関し何ができるかでしたので、そのままメンバーに質問しましたが、これという反応は無く、日本での弁護士の存在感の少なさを実感しました。それでも、鼻息の荒い若者が来たなということで、歓迎してもらい、いつのまにかメンバーとなっていました。

2001年7月、実務修習の最後が、弁護士事務所での修習でした。私の修習担当者は、上田文雄弁護士で、4ヶ月間、道央法律事務所で、机を借りて、上田弁護士について回りました。それまで、留学の可能性も含めて、2,3の東京の中規模渉外事務所を訪問し、ビジネス法としての環境法を熱く語ったものの、一人のパートナー弁護士が興味をもってくれた他は、概して受けは悪く、東京での就職へのモチベーションは下がっていました。そんな中、上田弁護士は、市民活動を長年続けていて、弁護士として環境にどう関わるかの回答を見せてくれました。すぐに札幌で弁護士をすることにした旨伝え、就職先として、米屋事務所を紹介してくれました。募集があったわけでは無いのですが、押し込んでくれたという感じでした。後に上田弁護士が札幌市長に立候補した際に、骨身を削って(大げさか)応援したことは、言うまでもありません。

 
 また、同じ道央事務所には、村岡弁護士が在籍していました。ロンドンに留学し、その際に見てきた当番弁護士制度を日弁連で紹介したことがきっかけとなり、日本の当番弁護士制度ができました。村岡弁護士は私達修習生に対し、留学についてこう言いました。「弁護士をしていると人生の澱のようなものが溜まってくる。留学でこれが吹き飛んだ。手帳にスケジュールが書いてなく、今日は何をしようかと考える快感は他では得難い。その後の弁護士生活への意欲も沸いた。」。後に、弁護士として数年経った頃、この言葉のうち、「澱のようなものが溜まる」という部分を実感し、村岡弁護士のこの言葉はしだいに大きく頭の中を占めるようになっていきました。
2000年5月ドイツ環境視察

弁護士となってすぐ、2000年5月、今度は、札幌弁護士会公害対策環境保全委員会のメンバーとして、ドイツのフライブルク、ハイデルベルクを訪れ、市役所等のヒアリングを行うことができました。ちょっと先にドイツ入りし、LRTさっぽろ代表吉岡の案内で、フライブルクの他、ストラスブール、カールスルーエのLRTを体験することもできました。環境委員会で事前勉強会として読んだのがこの本。「環境首都フライブルク」。

ストラスブールの広場を静かに走り抜けるLRTの姿には本当に感動しました。フライブルクでは、DBフライブルク中央駅をまたぐLRTと、自転車橋を見下ろす最高のロケーションで、この姿を勝ち取ってきた市民活動の経緯を聞くことができました。

LRTの走るポートランドを留学先として選んだのは、このときの感動が大きな要因となっています。LRT導入を提言している身として、旅行者としてだけでなく、生活者として体験してみたかったわけです。

傲慢ドイツ人登場

 さて、充実したドイツ環境政策視察ツアーでしたが、フライブルクの夜、重大な出来事がありました。私達は、フライブルク郊外の気持ちの良いコテージに泊まっていました。ツアー参加者と、通訳で同行してくれた当時ハイデルベルク在住の手塚さんとで、ラウンジで楽しく談笑していると、一人のドイツ人がやってきました。日本人か、そうか環境政策か、と質問してきます。このドイツ人の一言は、私にグサリときました。「そうか弁護士か、弁護士なのに何で英語をしゃべらないんだ。英語でクジラの議論をしよう。」。結局、手塚さんを介して、ドイツ語で会話をしましたが、この男、ドイツ人のステレオタイプそのままでした。ドイツ至上主義。音楽がすばらしい、この風景で聞くとなおすばらしいだろう、ドイツのスキーはすばらしい、日本はスキーをするところではない(長野オリンピックのことを言っていたのだろう)、日本の電化製品には一目置いている、云々。

私はこの時から静かな闘志を燃やしました。英語を勉強してクジラを議論できるようになろうと。実際に、留学中、授業でクジラの問題になりました。教授から指名を受け、日本人の立場を訴えましたが、多勢に無勢で、議論にはなりませんでした。でも、2000年ドイツ以来の、一つの目的は達成しました。

日本版ロースクール議論

札幌弁護士会では、環境委員会の他、いくつかの委員会に配属されましたが、日本版ロースクール設立を話し合う委員会にも、比較的長く在籍しました。母校である中央大学での受験指導体制の変更に少し携わり、法学教育に興味があったこと、アメリカのロースクール見学でいろいろ思うことがあったことから、こちらも熱心に取り組みました。自分自身の体験として、受験勉強中は、視野が狭く、限られたことしか勉強しなかったのに対し、合格後は、環境、まちづくりという線はあるものの、広く興味を持っていろいろ知り、考えることができたので、学生の勉強する対象を広げること、それを担保するものとして、法律の基礎の指導を丁寧に、かつ徹底して行うことを主張してきました。ただし、自分のしてきた環境関係の勉強といっても、目に付いた本を読むくらいで、きちんと環境法を勉強するという機会はありませんでした。そのため、ロースクール議論をしていくうちに、自分自身、落ち着いてきっちりと環境法を勉強したいなと思うようになっていきました。また、大学関係者との意見交換の場では、基礎指導に手一杯という感じで、周辺科目にまでは、ほとんど検討が及ばないという状況だったところ、アメリカでは、どうやってカレッジで法律を学んだ事のない学生が、3年間のロースクールで、あれだけ多岐にわたる法律を扱うことができるのか、実際に見てみたいという気持ちも強くなってきました。

行っていいのか悪いのか

事務所のボスであった米屋弁護士とは、大事な話をするときは、いつも酒の席でした。本人もロースクールを議論する委員会のマネージメントをしていて、二人でロースクールの話しをすることもよくありました。ある時、米屋が、「俺がお前の歳だったら留学に行く。」と口にしました。私は酒が飲めないので、酔っていません。本人は覚えていないでしょうけれど、確かに言いました。そこで、私は、「じゃあ、行きます。2004年に行きます。」と宣言しました。

もともと英語ができるわけでないので、自分を本当に留学するんだという状況に追い込む意図の下、合う人ごとに、「2004年に留学します。」と言って回るようにしました。そして、既成事実のようになって、事務所の後釜となる林弁護士を探すに至り、本当に願書を出して、留学するに至りました。地方都市の弁護士が留学することは普通ありません。札幌では、過去3人留学に出ていますが、勤務弁護士の状態で行った人はいません。行ってよかったのかいけなかったのか、わかりませんが、強い意志をもって、既成事実を作ることによって、実現することができました。前例の無い中、無理をして出てきたので、米屋事務所及び依頼者の方々には迷惑をおかけしたと思います。この場でお詫び申し上げます。

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